中村・澤村法律事務所

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コラム2021年0609

名言紹介(4)「福沢諭吉 その1」

 名言紹介の第4回目は慶應義塾大学の創始者:福沢諭吉の言葉です。
 長いので何回かに分けてご紹介していきたいと思いますが、要点を四字熟語で先述しておくと前半は「蜉蝣一期(ふゆういちご:寿命が1日しかないと言われる昆虫のカゲロウの一生と同じくらい、人間の一生も短くて儚いこと)」、後半は「一日一生(いちにちいっしょう:一日一日をあたかも一生であるかのように大切に生きること)」で表すことができると思います。

「宇宙の間に我が地球の存在するは、大海に浮かべる芥子(けし)の一粒と言うもなかなか愚かなり。我々の名付けて人間と称する動物はこの芥子粒(けしつぶ)の上に生まれ、また死するものにして、生まれてその生まるる所以(ゆえん)を知らず、死してその死する所以を知らず、由(よ)りて来たる所を知らず、去りて往(ゆ)く所を知らず、五六尺の身体わずかに百年の寿命も得がたし。塵(ちり)の如く埃(ほこり)の如く、溜水(たまりみず)に浮沈(ふちん)する孒孒(ぼうふら)の如し。蜉蝣(ふゆう)は朝(あした)に生まれて夕(ゆうべ)に死すと言うといえども、人間の寿命に比べて差したる相違にあらず。蚤(のみ)と蟻(あり)と背くらべしても大象の眼より見れば大小なく、一秒時(いちびょうじ)の遅速(ちそく)を争うも百年の勘定の上には論ずるに足らず。」

 意訳すると「宇宙の中に我が地球が存在する有様は、大きな海に浮かぶケシの実(七味唐辛子に入っているあれです。)の一粒に例えるのも愚かなほど極めて小さいものである。我々が人間と名付けて呼んでいる動物はこのケシ粒の上に生まれ、また死ぬものであり、生まれてその生まれる理由を知らず、死んでその死ぬ理由を知らず、どこから生まれて来るのかを知らず、死んだらどこに行くのかを知らず、150センチから180センチほどの小さな肉体を持ってわずか100年生きるのも難しい。チリのようにホコリのように、水たまりに浮き沈みするボウフラ(蚊の幼虫)のようである。カゲロウは寿命が1日しかないと言われ、朝に生まれてその日の夕方に死ぬと言われるが、人間の寿命と比べて大した違いはない。ノミとアリとで背比べをしても大きな象の眼から見れば大小はなく、1秒の遅さ速さを競っても100年を基準に考えれば1秒であれ2秒であれ大差なく、論ずるに足りない。」といった所でしょうか。

 上記言葉は蜉蝣一期(ふゆういちご)について、宇宙のスケールの中における人間や人生の極小さという切り口から、身近な具体例を沢山挙げつつ分かりやすく伝えているなあと感じます。
 それでは今回はここまでとし、次回はこの続きからご紹介することにしましょう。

(文責:弁護士 澤村康治)
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